ペット殺処分✖️人間の責任
数日前から子猫がホームステイ先の庭先でじっとしていた。ただ子猫を拾ったっていう話なんだけど、自分が普段から気になっていた重い話題と繋げてみた。
母猫も来ない。飼い主もいない。
誰かが捨てたのか、親に見捨てられたのかはわからないけど、たぶん親がいなければ生きていけない歳。
近寄ってみると身体中ダニだらけ、
ぐったりしていて、目は目ヤニで半開きで膿んでいて真っ赤。
明らかにこのままでは死んでしまう命がそこにあった。
しかしステイ先には赤ちゃんがいるので、室内には入れてあげられない。マイアミの気候だと毎日雷雨の中を車の下で過ごす事しかできない彼ら。もちろん飼えないし、病院に連れて行くお金も無い。ただ見殺しにはできないのでミルクをあげたら少し元気になった。
自分が感じたのはアメリカ(のマイアミの郊外)では日本よりも野良犬猫の状況や飼い主のマナーが悪いみたいで、犬や猫が離されているのをよく見る。
餌付けているけど外で放し飼い状態で、飼い主は自分の猫だと言い張るけど実態はほとんど野良猫。
結構そういう家は多い。だから繁殖し放題だし、そういう動物が死んでいるのをよく見る。たまに大きい犬が単独で道を歩いてるのも見る。
そしてまた飢えたり弱った猫を見殺しにできない人たちが、また野良猫を餌付けて繁殖させて、そういう放し飼いの家になってしまうっていう悪循環なんだろう。いつかそれで増えつづけて殺すことにならなければいいけど。自分の意見だと増やさないための去勢や避妊治療は殺処分よりは全然良いと思う。飼い主は自分のコントロールできる範囲を把握して正しく飼っていくべきだと思う。
そしてこの子たちだけど、こちらの動物を保護する団体(殺処分ではない)は迎えに来てはくれないので、そこに連れて行くために捕まえないといけないのだけれど、なかなか難しい。普段はぐったりしているのに、いざ捕まえようとすると必死に逃げ回る。
まだ離乳していないのか固形のものは食べない。どうすることもできぬまま3日が経った。今はどうすべきかステイ先の家族とルームメイトで考え中。
(このブログを書いた次の日に2匹とも死んでしまっていました。もっと早く気づいていたらよかった。)
この出来事から人間の責任について連想して考えました。 ちょっと考えすぎかもしれないけど日本で気になっていた事。
街で死にかけている野良の動物を見て、親は子供に言う。
「自然の摂理だ」
本当にそうだろうか。
確かに虫が蟻に食べられていたり、山でキツネなどが怪我していたりしたら、自然の摂理だと思う。
だけど、自分の住んでいる街で猫や犬、一般的にペットとして飼われている動物がカラスに突つかれていたりした場合はどうだろう。
彼らの住処や食べ物を奪ったのは人間。彼らをペットとして飼い、捨てるのも人間。人間のいらなくなったからという都合で命がコントロールされている。この環境を作りだしたのは明らかに人間だ。確かに自然の世界では死ぬなんて事はちっぽけだ。ただこの環境を作った人間が自然の摂理だとして見て見ぬふりをするのは違う気がする。
ペットを捨てる人は言う。
「ペットの命と家畜の命の何が違う?」
自分たちはご飯を食べる前に命を食べることに感謝して 「いただきます」と言う。ペットに対してはどうだろう。命を貰うという事は一緒でも「飼う」という事は死ぬまで面倒を見るという事だ。自分のペットを捨てて人に殺させる人や「飼う事」を途中で放棄して見殺す人は命を弄んでいるだけだと思う。
他の生き物を気遣うほど余裕のある人間という生き物が、こんな事でいいのかな。
「飼う事の責任」をペットを飼っている人全員に考えてほしい。餌付ける事も飼うに等しいと思うので餌付けている人にも責任はあると思う。動物が苦手な人も「人間の責任」や優しさを忘れずに考えて接してほしい。こういう動物に出会った時どうすればいいのかなあって。
今の時代ならSNSやネットサービスを使って新しい飼い主を探す事だってできるはずだし、それくらいの苦労は人間として責任があると思う。探せば去勢や避妊手術を肩代わりしてくれる人が見つかるかもしれない。愛護センターや役所に電話する前にその後どうなるのかちゃんと調べてほしい。
本当に殺処分がなくなればいいのに。ガス室のボタンを押す人の気持ちになるといたたまれない。
最後にかなりショッキングな動画を掲載します。動物の死体が映るので閲覧注意です。
ペットの処刑場「動物愛護センター」ドリームボックス Dream Box~の実態